透明なサクラの恋(8)


決めてしまったら我ながらボルテージが上がったらしく、ベッドにもぐりこんでもまったく眠れる気配がなかったので、久し振りに深夜徘徊に出ることにした。
適当に服を着替えて上着を着込む。秋とはいえ、夜はそれなりに冷える。
外に出ると、ぽかあんと白い満月が出ていて、あたりはかなり明るかった。その光景を見ながらちょっと古い洋楽なんかを口ずさみ、なんとなくいい気分で近所の公園に向かって歩き出す。
途中の自販機でちょっと迷って紅茶のホット缶を買い。
それを上着のポケットに押し込んで、また鼻歌を歌いながらしばらく歩けば、目の前に見慣れた公園が見えた。
照明二本とブランコと砂場とジャングルジムとベンチで構成されたこぢんまりした公園。前は良く通っていたのに随分久し振りだな、いつから来てないんだろうと考えて、すぐに気付いて考えたことを後悔する。

康介と別れて以来、だ。

せっかくちょっといい気分だったのに、と思ったら背後に人の気配。
あわてて振り返るとそこには、困った顔の男が立っていた。
私は思わず絶句する。
相手も何を言ったらいいのだろうかと考えているような顔。
どうしようかとポケットに手を差し入れたところで、ようやく沈黙は破られた。
「あー、今日、よく会うね」
そう言って彼は首のあたりを掻いた。
困った時の癖。
そういえばポケットに手を入れるのも私の困った時の癖だって、彼に言われたことあったな。
「そうだね」
「女の子の夜の一人歩きは危ないよ」
「そうだね今わかった」
「なんだよそれ、俺が変質者みたいな言い方するなよ」
そう言ってムキになるところ、かわいいと思ってたのに。
なんかもう、そんなに何ともないな。
今朝は胸が痛かったはずだったんだけど。
そう思って首をかしげると、どうしたの? と顔を覗き込まれた。
「ちょっと、本当に変質者呼ばわりするよ」
「なんだよ心配してんだぞこっちは」
「婚約者に告げ口するよ」
「あ、それはヤメテ」
「なんだよ自分ばっかり幸せ振りまきやがってー」
言ってしまってから。
しまったと思ってももう遅い。
「…そういうこと言うなよお前」
「ごめん、怒っていいよ」
「言われなくても怒ってる」
「殴っていいよ」
「女を殴る趣味はない」
「ごめん、お幸せに」
意味がわからないと思って踵を返して逃げようとしたら、腕を思いっきりつかまれた。
「透子」
「はい」
「お前、俺がなんでお前と別れたかちゃんと理解してるんだろ? 」
「してる」
「だったら人の幸せを妬む前にちょっとは頑張りなさい」
「はい、ごめんなさい」
小さく頷くと、頭の上に彼の手が振ってきた。
そして乱暴に髪をぐちゃぐちゃかき混ぜた。
「ちょっとなにすんの康介! 」
「傷付けられた仕返しー」
そう言って彼はへへん、と笑い。
「とーこ、ちょっと見ない間に甘え上手になったなー」
とまた笑った。
「甘え上手」
「うん」
「嘘つけ」
「いや、ホントだって。なんかあれだね、やっぱり俺じゃダメだった、ってことだろうね」
「そんなことないよ」
「おー、嬉しいこと言ってくれるねー」
「だって好きだったし」
お互いに絶句。
しばらくして同時に吹き出した。
「過去形ー」
「それはお互い様でしょ」
「ま、ね」
言いながら彼は突然ジャングルジムに登り始め、私はなんとなくそれを見ていた。
「朝は駅のホームでメロドラマしてたくせに」
「見てたんだったら助けてよ」
「いや、あんとき俺はとーこのカコのオトコになったんだっていう感慨に浸ってたからさー」
「そういう表現止めてよ」
 私が苦笑すると、
「いやいや、ほんとに」
とジャングルジムのてっぺんから月を見上げて、彼はしみじみ言った。
「そうやって君が笑っているならば身をひいた甲斐があったというものです」
「笑ってもいられないんですが」
「いや、笑えお前は。俺が泣く泣く身をひいたことを無駄にするな」
「すっごいこと言ってるのわかってる? 康介」
「…だよな、クサイよな」
「うん」
言いながら私も、ジャングルジムに登る。
そして彼の隣に並んで、
「今日はいろんな人から励まされたよ」
と呟けば、
「その締めくくりになれて光栄です」
と、なおも月を見上げたまま彼は言った。
「ありがとう、おしあわせに」
口をついて出た自分のことばに、彼の言った「カコのオトコ」ということばが思い浮かんで思わず苦笑しながらポケットに手を突っ込んだら、ほとんど体温と中和してしまった紅茶の缶があった。
「これはお祝いです」
と言ってそれを手渡すと、彼は「これはこれは」と笑った。
その彼を見て私も笑っていることに気付くと、何故か麻生さんのことを思い出した。
それに気付いたのか気付かなかったのか康介は、
「これはカコのオトコからの餞別。頑張れよ」
と言って私の手に缶コーヒーを握らせると、ジャングルジムから飛び降りた。
そのまま手を振って帰っていく彼の背中を見送り、私もジャングルジムから飛び降りた。

頑張ろうと、改めて思うとあくびが出た。
やっと、眠れそうだった。
よく、眠れそうだ。


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