透明なサクラの恋(9)


次の日の放課後。
いつものように、研究室へ向かう。
足取りはやや重く。でもできるだけ背筋をのばして。

見上げると空は青く晴れていて、ちょっとだけ安心する。

しかし、研究室の扉を開けたら固まってしまった。
心の準備がまったくできていないのに、彼がボーっとソファーに座っていたからだ。
彼は扉が開いたことに気付かなかったのか、そのままボーっと窓の外を見ている。ちょうど扉に背を向けた状態で座っていて表情が見えなかったけど、なんだか、元気がないように見えた。
「麻生さん? 」
呼びかけても、振り向いてくれない。
そのことに挫けそうになるけど、今日はもうちょっとだけ頑張ろうと決めて、窓側のソファーに座る。
「麻生さん」
すると焦点の合っていなかった彼の目がかちり、と私に向けられる。
「ああ、ごめん、ちょっとボーっとしてた。さっきも呼んだ? 」
「呼びました」
「ごめんね」
「麻生さん、コーヒー飲みます? 」
「え? あ、うん」
なんとなくわかってしまう自分が嫌だった。
どうしてわからないままでいさせてくれないんだろう。
立ち上がりながら、小さく溜息をつく。
「あ、サクラさん、なんか用事だったの? 」
「麻生さんがそんなんじゃ、言えないですよ」
「え? 」
「今言うの、ずるいと思うから」
「なんで? 」
「麻生さん、今日、ララに会ったでしょ」
コーヒーを入れたカップを持って振り向くと、彼は驚いたように固まった。そして「サクラさんにはかなわないなぁ」と、困ったように笑った。

その笑顔に、私の中で唐突に、何かが切れてしまった。

「それはこっちの台詞なのに」
「え? 」
「麻生さんはいつもララばっかりで」
「サクラさん? 」
「大体、何なんですか、なんでララはララさんで私はサクラさんなんですか、私が傷つかないとでも思ってるんですか」
「え、あ」
「ゴメンとか言わないで下さい、今私変なこと言ってますから」
何を口走ってしまったんだろう。
しまった、と思ったときにはもう手遅れなところまでことばが出てしまっていた。怖くて顔が上げられない。
「誤解だよ、サクラさん」
うつむいてコーヒーを入れた紙コップを見ながら、もう消えたい、と思っていたら、麻生さんの声がした。
「誤解って」
まだ、顔が上げられない。
「オレ、サクラさんを初めて見たとき、桜みたいなひとだなぁ、と思ったんだ」
「え? 」
「凛とした美人だなあと思って。そしたら名前がさくらとうこ、だって言うから。すごいいいなあ、と思って呼んでたんだけど。ゴメン、まさか、泣かせちゃうなんて思ってもみなかった」
その彼のことばを聞いて、初めて、自分が泣いていることに気付いた。
昨日今日で泣きすぎだ。
そう思ったけどどうしようもなく涙は流れつづけた。
「すごい、涙って、透明なんだね」
「あたりまえじゃないですか」
「はは。ずっと泣いてないから忘れてた」
「私も忘れてました」
「透子さん」
「え」
「これからはそう呼ぶね」
「いいですよ今更」
即答すると、麻生さんはくすり、と笑った。
だからそこは。カワイクない女だなって、思うところでしょ。
そう思って見ていたら、
「いや、透子のとうって、透明の透でしょ。ぴったりだよ、桜よりも」
と、諭すように彼は言った。
「麻生さん」
「ん? 」
「ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ」
「私ね、本当は今日言おうと思ってたんですけど」
「うん」
「また、今度にします。急ぐのやめます」
「うん」
「じゃあ、また」
「また」
すっかり冷めてしまったコーヒーを一口飲んで立ち上がる。

彼が私じゃない誰かに失恋したからって。
私が彼に失恋したわけじゃないんだから。
焦ることはない。力抜いて、頑張ればいい。
「あ、透子さん」
「はい? 」
「気をつけてね」
「はい」
今日がダメなら明日があるんだし。
明日がダメならあさってがあるんだから。
とにかく頑張ればいいんだ。
今度は、諦めないで。


おわり。

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