そのちいさなおと(12)

家に帰り着くと、そこには音が立っていた。

その姿を見た瞬間、体中の力が抜けてしまって。
思わずその場にへたり込んでしまった。
音はそんな私を見て、
「らあちゃんおなかすいたんでしょう? 今日は鈴さんに教えてもらったスペシャルメニューをご馳走しますよ」
と言って笑った。

***


らあちゃんはできるまで待ってて、と言われ、特に反抗する理由もないので、ベッドに腰掛けて待つことにしたのだけれど。
ボーっとしていると、さっきの光景がよみがえってきてしまう。

最後に、アズサはなんて言ったんだろう?

ふとそんなことを思った。
確かに、彼は何かを言っていたのだ。
私のほうを、ちゃんと見ながら。

でも、そのことを考えようにも、私のいろんなところは疲れきってしまっていた。
何も、考えたくなかった。
こてん、と、ベッドに横になってみると、あっという間に睡魔に襲われる。
何も考えないで眠ってしまおう。
そう思ったら、ただよい始めるいいにおいに後押しされるように、簡単に眠りに落ちてしまった。

***


「らあちゃーん。できたよー。」
どれくらい眠っていたのだろうか。
目を開けると目の前に、音の笑った顔があった。
ああ、おかあさんってこういう感じかな、とふと思う。
おかあさんのことはよく覚えていないのだけど。
こうやってやさしく笑う人だった気がする。
「いっぱい作ったからたくさん食べてね」
と言って示されたテーブルの上には、かわいく盛り付けられた料理が所狭しと並んでいた。
音の叔母さんに当たる鈴さんというひとは、ちいさなカフェを経営するかたわらチェーン経営のレストランのメニューなどを考える仕事をしている、フードコーディネーターだ。
「これはね、次期用の新作なんだって。すごくおいしいんだよ」
と、何やら不思議な色合いのサラダを差し出しながら、ふと、音は言った。
「私ね、アズサ君はらあちゃんのこと好きだと思うんだ」
と。
私は差し出されたサラダにのばしかけた手を中空で凍らせてしまった。
固まってしまった私に音はちょっとだけ困った顔をした。
私はその困った顔を見ながら、
「そんなことないよ」
と言った。
すると音は、
「そんなことなくない。」
と、何故か断言した。
音が何かを断言することはとても珍しいのでしばらく何もいえなくなったけど、その顔を見ていたらなんだかとても冷静になってきた。
「だってね、さっき振られたんだ、ごめんって。」
胸がチクリ、と痛んだ気がしたけれど、案外あっさりと口にすることができた。
やっぱり私は壊れているなあと思ったら笑いまでこみ上げてきて、ハハハと笑って再びサラダに手をのばしかけると、音が咎めるように言った。
「ちがうよ」
「…何が?」
「らあちゃん、振られてない。」
「何言ってるの」
「絶対、そんなことないもん」
ふと気付いたときには、音の目から涙が零れ落ちていた。
「なんで音が泣くわけ? 」
独り言のように呟いた声がなんだか震えたので、もしかしたら私も泣いているのかもしれなかった。

***


泣いたあとの音はなかなか見ものだ。
とにかく体力を使うのか、泣き止むと同時に盛大に食べはじめる。
その姿を見ているうちに元気になる、というのがいつものパターンだった。

音は私が落ち込むと必ず泣く。
私が泣かずに、いつも音が泣く。
一緒に泣いたのは、もしかすると今回が初めてかもしれない。
「ほらほら、らあちゃん箸が止まってるよ」
さっき示されたとき、二人でこんなに?と思っていた量の食事が、着々と消費されていく様を呆然と眺めていた私に、音は笑いながら言った。
私はそれを見て笑ってしまう。
さっきまで泣いていたくせに。
もうふつうに笑っている。
かわいいなあ、と思って眺めていた私に、音はまたふふっと笑って、
「あのねー。トモくんは何回ごめんなさいって言っても諦めなかったんだ。らあちゃんもね、ごめんなさい一回で諦めちゃダメだよ」
と言った。
そりゃあ、音はそうかもしれないけど、と思ったら、音はさらに続ける。
「ねぇ、トモくんが何度ごめんなさいしても諦めなかったのって、なんでだと思う?」
笑顔で質問してくる音に、「さあ」と言って首をかしげると、「アズサ君が『俺はゴメンって断ることはないから』って言ったからなんだって」と、言われた。
「なんで」
「好きになることないのに、謝るなんて偽善っぽいから、なんだって。変な人だよね」
「変すぎるよ」
「でもそういうとこ、好きでしょ」
「うん。ねえ、いつから知ってたの? 」
「らあちゃんがアズサ君をすきだって? 」
「うん」
すると音は、なんだかとても綺麗に笑うと私の耳元に唇を寄せて、「らあちゃんが気付くよりもっと前からだよ」と言った。

恋は女を変えるというのは本当かもしれない、と思った。
音は最近、驚くほど綺麗に見えることがある。

そう思ってぽかあん、としてしまった私に向かって音は言った。
「もしアズサ君に愛想が尽きたら、私がらあちゃんの彼氏になってあげるから」
だからもうちょっとだけ頑張って、と。
そう言って笑う彼女は、とにかくとてもきれいだった。

私も彼女みたいになりたい、と思った。


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