四月(8)

四月十一日。
サークル、というものを覗きに行ったはずだったんだけど。

ところで、俺の祖父の家は剣道の道場である。
そんなわけで物心ついたときから、当時の家から電車で40分かかるその道場に、約五年間通っていた。
そして関西に引っ越した後も別にやることもなくずるずると他の道場に通い部活に通い、気付けば剣道歴13年である。
大学に入ったわけだし、いいかげん何か他のことでもはじめようかなぁ、と思っているにもかかわらず、結局足が向いたのは剣道部のある道場であった。
進歩がないというか。
つまらない男だ。
そういえば、大学で言うところの「サークル」と、「部活」の違いがイマイチよくわからない。
サークル、っていうのは円だよなぁ。
「よートモよ。何やってんのこんなとこで」
「あ?」
どうもアホらしいことを考えながら入ろうか入るまいかなんとなく迷っていたら、後ろから能天気な声がした。
「ああアズサか。何、日曜の学校に原チャなんかで来て」
「うん、忘れもん。これからバイト行くついで」
「あ、そうかこれからか」
ヘルメットを取って頭を軽く振りながら、彼はにや、と笑った。
風で髪がふわふわしている。
「おう。トモはなにしてんの」
「ん、剣道部に行こうかどうしようか、と思ってるとこ。なぁ、サークルと部活どう違うん?」
「ん? サークルは円やんな」
「悪い、お前に聞いたのが間違いだった」
「何それ、ひど」
へらへらしながら答えるアズサと同じことを考えてたなんて口が裂けても言えない。
などと思っていたとき。
ふと、なにやらただならぬ視線を、背後から感じた。
なんだ、と思って振り向いて見ようとしたのとほぼ同時に、
「ここに何か用」
と、視線の主らしい人が話し掛けてきた。
高いとも低いともなんとも形容しがたい声のその視線の主は、怖いくらいに真っ直ぐに俺の顔を見上げていた。
悪いことをしていなくても「ごめんなさい」と謝ってしまいそうなほどの迫力をもった視線になんとなくたじろいでいると、いつのまにか立ち上がって隣に来ていたアズサが「このひと、この前エイプリルで店番してた人やん?」と耳打ちしてきた。
そういえば、あの時感じた視線と同じだ。
強くてやたらまっすぐな見方。
その視線に戸惑いつつも、間が持たないので何か用ですか、と尋ねようとしたところで、向こうから人が走ってきた。
「らあちゃーん! お待たせ」
「あ、有沢さん」
「あ、飯田君だ。あれ、らあちゃん知り合い?」
有沢さんが尋ねている間も、視線はあいかわらずこっちを射るようで、その様子はなんと言うか、まるで手負いの虎のようである。
今にも襲い掛かってきそうというか。
しかし有沢さんのほうはそんなことはまったく感じていないかのようで、そうなのかぁ、とか言いながら俺たちのことを彼女に説明している。
飯田トモ君とお友達の市原アズサ君。
「知ってる」
ね、と振り向かれたので「どうも」、と挨拶しようとしたら、手負いの虎は更に眼光鋭くこちらを見た。
はっきり言って、ちょっと怖い。
「え、知ってるの? でも今知らないって」
その空気をまったく察知していないに違いない有沢さんの暢気なセリフに、手負いの虎は突然ついと視線をはずし、彼女のほうを見てにっこり笑った。
「うん、知り合いじゃないけど、話にはちょっと、聞いた。ていうか音も言ってたし」
「あれ、そうだったけー」
「そうだよ」
にこにこと笑うその姿は先ほどまでの手負いの虎とは信じられないほどに毒がなく、またしても女は謎の生き物だ、という思いが頭をよぎる。
大体そういえば、この人は一体ナニモノだ。
「らあちゃん、もう先生に用事済んだ?」
「うん」
「じゃあ行こう行こう! 今日はスペシャルディナーをご馳走するよ」
そしてこの有沢さんの懐き方はなんなんだろうか。
かなり羨ましいが。
と思ったら、有沢さんが急に振り向いて俺の顔を覗き込んだ。
「大丈夫? 眉間に皺が寄ってるよ。頭痛い?」
「いや、そちらのかたは誰なのかと」
急なアップに驚いて一歩後ろに下がってしまった俺を背後でアズサが笑っているのを感じつつ何とか答えると、有沢さんはああそうか、と笑った。
「こちらは私の幼なじみの佐崎らあちゃんです! 大好きなひとだよ」
「音、佐崎ララ、だよ、名前」
「そうそう。佐崎ララさんです。社会学部の3年生で心理学専攻…」
「音、そこまで説明する必要ないんじゃない?」
「あ、そうか。んー、でもね、飯田君とらあちゃんは似た感じだからきっと仲良くなれるだろうと思って」
にこにこにこ。
有沢さんがこの佐崎さんという人に向ける笑いはまるで子供のようで、彼女がどれだけこの人に心を許しているかといううことが窺える。
しかしそのセリフの最中、有沢さんのふんわりな空気を断ち切るように、再び手負いの虎が目を覚ました。
そして射るような視線でこちらを向き、突如こう言い放ったのである。
「中途半端ならやめてくださいね」
一瞬何のことだかわからず全員で絶句すると、佐崎さんは再び有沢さんのほうに向き直り、「じゃあ行こっか」と笑った。

なんだ、なんだこれは。
心理学の実験かなんかか。

じゃあまたね、と去っていった有沢さんへの返事もそこそこに今起こったことについて考えはじめると、背後から「すげー」という呆然とした呟きが聞こえた。
それに俺もまた呆然と頷く。
「さっきのあの人、多分お前より全然有沢さんのこと好きやと思うよ」
「うん、俺もそう思った」
「て、負け認めんなよ」
「いや、多分種類が違うやつだ」
「あー」
「そっちの種類でもできたら勝ちたいけど」
「おー」
「無理かも」
するとアズサはしょうがないな、というように、ちょっと悲しそうに笑った。
「確かに。ああいう人は強いもんな。すごかった、すごいひとに逢った」
うん、うん、と、確かめるように何度か頷くと、アズサは原チャリにまたがってエンジンをかけ、ヘルメットをかぶった。
「まぁ、でも負けんなよ。お前は」
「ああ」
「じゃ、オレはバイトだ。じゃあ」

去っていくアズサの後姿を見つめながら、今日はとりあえず、剣道部を覗きに行くのはやめようと思った。
さっきの事件で頭の中がそれどころではなくなってしまった。
俺も、アズサも、しばらくあの視線は忘れられないだろう。
しかも、俺はあの人に勝ちに行かなくてはならない、のだから。


back * next

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送