四月(6)

四月八日。
目の前には4皿のケーキ、そしてそれを嬉々として見つめる男。

「でもオレ、ゴメンナサイって断らんけどなぁ」
「は?」
「いや、この前の話。有沢さんの」
そして男は、ケーキをがつがつ食べながら思いついたように述べたのだ。
高校時代、少なくとも月に一度は女に言い寄られていたこの男は。

ことの始まりは家に帰り着いた午後3時。
午前終わりの授業の後、クラスの奴らと昼食を済ませて帰宅すると、アパートの前で原チャリにまたがったアズサが開口一番こう言った。
「トモ、遅い!」
遅い、といわれても何のことやらわけがわからず、
「何、俺、なんか約束してた?」
と問うと、
「してないけどオレお前が持ってるCDめっちゃききたくて来たのにお前今日午前終わりやろー」
と、彼の返事は支離滅裂である。
「お前、要点絞って喋れよ」
「じゃあとにかく腹減った! メシ! あとケーキ!」
「は、ケーキ?」
「オレ待つと甘いものが欲しくなるんだ」
ヘルメットを取って原チャリのスタンドを立て、キーを抜いてキーホルダーをくるくる回しながら、アズサはなぜか流暢な標準語で、変な主張を展開した。
どうやら腹が減ると、著しく思考能力が低下するらしい。
前から薄々思っていたことではあるが。
「わかった、じゃあどっか連れてってやるから、それ、階段の下に置いてそこで待っとれ」
「了解!」
そしてそういった経緯を経て、ランチタイムぎりぎりで、あの妙な勧誘以来2度目のエイプリルへとやってきたのである。

「ごめんて断らんて?」
「だって、そんな思わせぶりやん」
苺ショート、オレンジムースを平らげ、3つ目のクラシック・ショコラを食べながら、彼は淡々と言う。
「思わせぶり?」
「うん」
そして最後のフルーツタルトに手を伸ばし、その皿を持ったままほんの暫く、誰にもわからないくらいの長さで、それをじっ、と見つめた。
フルーツタルトは姉がよく作っていたお菓子だ。
ふと、そんなことを思い出す。
フォークを持った彼の目は、多分フルーツタルトではないものを見ている。
その姿に何か声をかけようかと一瞬迷ったちょうどそのとき、カランカランと音をたてて開いたドアの方から、「あっ」という女性の声がした。
声につられて何気なくそちらの方を見ると、今日は姿の見えなかった店主の片瀬さんがこっちに向かって歩いてくるところだった。
「こんにちはー、また来てくれたんだー。なんかさ、変な店だと思われて、もう二度と来てくれないんじゃないかって、あの後ちょっと後悔したんだ」
なにやらスーツなどを着込んだ彼女は、この前思ったのとはまた違った美しさである。
「なにトモ、こんな美女に言い寄られてんの」
さっきまで見つめていたフルーツタルトの上の巨峰をフォークで突き刺しながら、アズサはにやにや笑っている。
「違うよ、バイトしないかって」
誘われてて、というと、アズサはびっくりした顔で巨峰の刺さったフォークを皿に置いて、
「それ、オレじゃ駄目ッスか」
と、店主の方に向き直った。
「え、あなた、お友達?」
「お友達の市原アズサです。オレバイト探してて。ここ、メシもケーキもやたらうまいし。明日からだっていいです」
「あら、それはそれはどうもありがとう。うーん、そうだな、あなたもなかなかいいセン行ってるかも。どうしようかなー。……ねえところで、あなたの名前実はまだ聞いてないよね」
熱心にアピールするアズサの話をにこにこ聞いている店主の横顔が誰かに似ているなあ、と思っていたら、その顔が突然こっちを向いた。
「え、俺、飯田です、飯田トモ」
「え、飯田君?」
「はい」
「ふーん、飯田君かぁ」
「なんすか」
店主の物言いに何か変な含みを感じて問い掛けてみるも、彼女は笑って「別にー」と言っただけだった。
やはりその横顔は誰かに似ている気もする。
「えーと、市原アズサ君?」
「はい」
「いままで、アルバイトの経験は?」
「あ、地元でも知り合いの喫茶店でやってました」
「あら、即戦力」
「俺なんかより向いてると思いますよ」
「そう? じゃあ、明日から来てもらおうかな。シフトとかはまたそのときにってことで」
「ありがとうございます、お願いします!」
「それから飯田君もまだまだ受付中だから。じゃあアズサ君、また明日」
「はい」
これでオレはもう誘われないかと思ったらやっぱり最後に誘いのことばをそえて、店主はカウンターへと去っていった。
そしてそこで本を読んでいた店番の女の子に声をかけている。
「トモ、トモ」
ぼんやりとその後姿を眺めていたら、アズサが机をとんとん、と叩いた。
「なに」
「さっきから思ってたんだけどさ、あのカウンターの人、可愛くない?」
「え」
「え?」
「お前がそういうこと言うの、久し振りに聞いたと思って」
さっきだってフルーツタルトをあんな目で見ていたし。
「そんなことないやろ。女の子はみんなかわいい!」
「ハイハイ」
どこまで本気なんだか隠すのがうまくて困るな、と思いながら適当に返事をしつつ、もう一度カウンターの方を見ると、片瀬さんとの会話の途中で、店番の女の子が驚いたように俺の方を見た。
そして再び片瀬さんに向き直り何か言って、奥へと引っ込んでいく。
なんだ、今のは。
思ってアズサのほうを見ると、彼はわき目もふらずフルーツタルトに挑んでいるところだった。

その姿を見ながらぼんやり思う。
なんだかよくわからないけれども、もしかするとこの店とは縁が深いのかもしれない。
俺も、アズサも。


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