四月(2)

四月二日。
新入生オリエンテーション。
教育学部社会科専攻の俺と美術専攻のアズサはきのうと同じ大体育館で学部全体の説明を受けたあと、昼飯を一緒にする約束をして、専攻ごとの説明会場へ向かった。

説明会は非常に退屈だった。
ので、人間観察に終始した。
大学ともなると色々な人間がいて、それなりに面白かった。
うちの専攻は妙に男が多かったけど。
まぁ、別にそういうのはどうでもいいか。
とか、そんなことを考えながら学食最寄の桜の木の下のベンチでアズサを待っていると、急に強い風が吹いてきて、と思ったら唐突に、目の前が真っ白になった。
「え、あー!」
「ちょっと音ちゃん、大丈夫?!」
「ダメ、2枚、2枚飛んでった」
「あ、あそこに一枚飛んでる、取ってくるね」
「ああっ、本当だありがとうー。えーと、あと1枚、あと1枚」
「これ、ですか?」
真っ白になった目の前。
風がやんで、膝の上にひらりと舞い落ちたのは手書きの譜面だった。
そして数歩先の道の上でおたおたしていたのは。
どこからどう見ても、きのうの桜の精に、間違いなかった。
「あっ、それ、それです、どうもありがとうございましたー」
「つかまえたつかまえた、ひらひらどんどん向こうのほうまで行っちゃって」
と、向こうの方から彼女の友達らしき女が走ってきて、ふと、俺の顔を見て動きを止めた。
「あれ」
「あれ?」
「飯田君?」
「は?」
「え、真夏ちゃん、知り合い?」
全員で疑問符を投げかけあって沈黙してしまい。
思わず全員で首をかしげると、そこへタイミングよく、というかなんというかで、アズサがやってきた。
「どしたん?みんなで首かしげて」
「えーと」
どうしたと訊かれても、誰もイマイチ状況が掴みきれていなくて、ついもう一度三人そろって首をかしげると、アズサはぷっと吹き出した。
「なんだよお前、失礼」
「だってトモ、仕草がかわいすぎ」
くくっと喉の奥で笑うアズサの言葉に、まだ首をかしげていた桜の精じゃない方がピクリと反応した。
「ね、やっぱり飯田君でしょ、飯田トモ君」
「なにトモ、知り合い?」
「さぁ、誰だっけ」
「うわっひどいなぁ。転校する前小学校で一緒だった新藤真夏! 覚えてないの?」
はっきり言って小学生のころのことなんかかなりうろ覚えだった。
新藤真夏。
「そんな人もいたかもしれない…」
ということで無難に答えたら、背後から忍び笑いが聞こえてきた。
むっとして振り返ると、手にした楽譜を抱きかかえ、もうこらえきれません、といった表情で桜の精は笑っていた。

ああ、何やってんだ俺。

「まあさぁトモ、これもなにかの縁やし。ついでに一緒に飯でも食うて親睦深めたら」
「お前その天性のナンパ癖どうにかしたら」
「ナンパちゃうやん、お前のためやで」
ふふん、と鼻で笑い、アズサは小声で俺に言った。
「あっちの笑ってる子、お前の桜の精やん、違う?」
運命的ー、などと抜かしながら、アズサはさっさと話を進めている。
そして気付けば本当に、一緒に昼食を取ることで話はまとまったらしい。素早い。

有沢音、と彼女は名乗った。
やたらぴったりな名前だと思った。

+++


「ねえ飯田君本当にあたしのこと覚えてない? いっしょに学級委員とかやったじゃん」
「へー、オレ聞きたい、ともの関東時代の話ー」
「なんもないわ、何、関東時代て」
学食はオリエンテーションを終えた新入生と、それにたかるようにサークル勧誘のビラをまく上級生とで大賑わいだった。
その騒ぎから少し外れた隅のほうが運良く空いていたのでそこに陣取った直後、新藤真夏は心底心外だ、という声を出した。
だってもう8年も前の話なのだ。
恋でもしてなきゃ小学校4年のときに別れたきりの同級生の女の顔なんていちいち覚えているわけがない。
「えー、あるよいろいろ。飯田君の関東時代話」
「なにがだよ」
「たとえば小4のときクラスのほとんどの子が飯田君のことが好きだった、とかさー」
「は? なにそれ」
「そういうことにはてんで鈍感キングだったからね飯田君はー」
「でもなんかそんな感じだねー」
何が鈍感だ、と意見してやろうとしたら突如、それまで俺たちの話をにこにこ聞きながらオムライスを食べていた有沢音がしみじみ言った。
「なにそれ音ちゃん、鈍感そうってこと?」
「んー、それもそうだけどー、っうあっ!」
「え?」
「ごめ、電話だ。出ても大丈夫?」
「どうぞ」
「ちょっとごめんね、おはなししててください」
いまどき珍しい気の使いようで食堂の隅のほうへ彼女が走っていくと、アズサがすかさず新藤真夏にたずねた。
「有沢さんってどんな人?」
「なにアズサ君、もうチェックですか」
「いや、オレじゃなく」
「え、じゃあまさか飯田君が」
「そーなんよー、一目惚れでねー」
「お前が勝手に話進めんな」
油断も隙もない。
俺が誰に一目惚れしようとしなかろうと、お前に関係ないだろうが。
「一目惚れ?」
もう展開が早すぎてついて行けん、と思いながら大盛りカレーをぱくついていると、頭上から有沢音の声。
いつのまに戻ってきたんだ、と3人で固まっていると、
「ごめんね、今日は幼なじみと会う約束があって」
と、一目惚れの話題なんかなかったかのように彼女は言った。
「ああ、ああそう」
とりあえず適当に相槌を打ったら、
「で、誰が誰に一目惚れ?」
と、彼女は普通に笑いながら会話を元に戻してきた。
オムライスの残りをつつきつつ。
その余裕綽々な態度を見ていたら、俺の中でちいさい石ころみたいなものがごろごろしはじめて、気付いたらとんでもない事を口にしていた。

「俺が有沢さんに」

しまった、と思って固まっていた時間は何分ぐらいだっただろうか。
今の発言は夢であって欲しい、と都合のいい願い事を心の中で呟いていたら、驚いたことに彼女はまったく動じた様子もなくこう言ったのだ。
「ふーん」
「え、え?」
「どうもありがとう」
「は?」
「それじゃあ真夏ちゃん、私先に行くけどごゆっくり。ごめんね」
「う、ん」
完全に固まった俺の斜め前で同じく固まっていた新藤に声をかけると、
「じゃあ、市原君に、飯田君。また」
と言って、彼女はあっさり去っていった。
「どういうこと、あれ」
もうひとり、こちらも固まっていたアズサがポツリと呟くことばに、俺も同感だった。

どういうことだ、いまの。


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