「ハノンさんのユースフルデイズ」

「柊さん、ちょっと」
HRのあと、担任に小声で呼び止められて帰り支度をしていた手を止めると、彼女はひらひらと、手招きをしていた。
「なんですか?」
「ちょっとお話があるから進路指導室まで」
笑顔で言われて溜息が出る。
面倒くさい。
「わかりました」
でも高校という団体に所属しているからにはいずれ言わなければならないことだし、と思って仕方なく従うことにする。
「先、帰っててくれる? ゆりりん」
「ああ、出しちゃったもんね、今日。進路希望調査票」
「多分冗談だと思ってるしょ」
「ハノ、そういう人に見えんもんねぇ」
「あの人破天荒な性格のくせして変なとこ一般人の常識の持ち主というか」
「ひとみちゃん?」
「そ」
ひとみちゃんというのは担任の名前。
まだ20代で、教員が天職としか言い様がないほど潔い破天荒な性格の方である。
「でもいい人じゃん」
「それはまったくそのとーり」
とにかく行って来るよと鞄を持って立ち上がり、同じく立ち上がったゆりりんと教室の前で別れた。

「失礼します」
「ああ、来た来た柊さんちょっと座って座って」
「本当ですよ」
「本当なの!?」
座って座って、と言っている顔に「本当に? 本当に進路は結婚なの?」と書いてあったので促されたソファーに座るが早いか、その顔に書かれた質問に答えて差し上げた。
「なんで、だってこの前の進路調査ではバリバリ大学進学って書いてたじゃない!」
国語科教師のくせに「バリバリ」とか使うなよ、と思いながら差し出されたお茶を啜りつつ、なんでって言われましても、などと適当に答えるとひとみちゃんははぁ、と溜息をついた。
「柊さん頭がいいから中堅以上クラスの国立大選びたいほーだいなのに」
「でもあたし、勉強嫌いですし」
「ええ! そうなの?」
「夜とかやることなくてつい勉強してただけで、嫌いですよ基本的に」
「そうなんだー」
「それに、多分今を逃したらあたし、一生結婚しないと思うし」
色々な人に言ったため、もう何度目になるのかも思い出せないセリフで空気を震わせて差し上げたら、西村ひとみ27歳は目を丸くして絶句した。
「なんかこれを口にするたびにみんな絶句するんですけど何にそんなに驚くんですか?」
「柊さんの顔」
「な!」
目を丸くしたまま呆然と呟かれたことばがあまりにもあんまりだったので今度はこっちが絶句してしまうと、ひとみちゃんははっと我にかえった。
「だってね柊さんってそんなに満足に笑う人じゃなかったじゃない?」
「はい?」
「完全にまわりから自分をガードしてるって顔をしているのに、いつも」
「してます?」
「してますよー。なのにね、今の一瞬ね! ガードが消えた感じ!」
「なに喜んでるんですか」
「だってあたし柊さんと仲良くなりたかったんだもーん」
「なにそれ」
「あたし柊さんの作文が大好きでー」
自分専用のピンクのマグカップに入れたインスタントコーヒーをごくごく飲みながらもうまるでここが進路指導室ということを忘れているようなテンションで担任は笑う。
「なんすかそれ」
「柊さんの内側って外側からじゃ絶対見えないんだなぁと思ってたのね。作文に見え隠れする綿みたいな雰囲気」
「わた?」
「うーん、白くてやわらかい感じ」
「なんすかそれ」
人は見かけによらないってことよ、と言って年上女らしく笑い、ひとみちゃんは手元にあったファイルから1枚の紙を取り出した。
「<ただそのひとかけらがあれば きっと私は生きていけるとおもう>」
「うわ!」
よ、読み上げるか普通!
「<それを探してるか探してないかは自分でもよくわからないけどとりあえず欲しいことは確…>」
「やめてくださいよ!!」
「柊ハノン作<恋>」
「違うでしょ、<恋>ってタイトルで小説書けって課題出したのは先生じゃないですか!」
「みつけちゃったんだね柊さんはそのひとかけらを」
読み上げられている紙をどうにか取り上げようと必死になる私を難なくかわし、ひとみちゃんはしみじみ呟いた。
「っていうか私より先に結婚するってどういうことよ」
「すいません」
確かに10も年下の生徒に先を越されるのはあんまり気持ちのいいものじゃないかもしれない。
「すいませんついでにもうひとつ」
「なに?」
「実は来月籍を入れたいんですがそれって大丈夫ですかね?」
聞いた瞬間担任はまたも絶句し。
そのあと盛大に吹き出して「あたしに任せなさい」と言って笑った。

2003.6.26

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送